Carnac 2025

東京都心5区に中野区と杉並区を加え、吉祥寺から東京湾に広がる広大なエリアを想像してみてほしい。
この広がりの東端に、3つの川の合流と、中央区と江東区を合わせたほどの区域を見下ろす、高さ18メートル、ヨーロッパに立てられた脊柱で最大の折れた大メンヒル、エル・グラーがある。
この区域の中心となるであろう、ガブリニスのケルン、マネ・エル・フロック古墳、エル・ラニックのストーン・サークル、そしてペナップのドルメンがこの3つの川の両岸のところどころで向かい合っている。
ヨーロッパ新石器時代、南ブルターニュ、モルビアン河畔、今からおよそ7000年前。
1万年前から猛烈なスピードで海岸線を作り変えてきた海洋侵食が、突然、年平均10ミリから1ミリへと減速したところだ。
農業と牧畜は始まったばかり、気候は温暖で、海と陸が出会うことで非常に豊かな生態系が育まれ、多種多様な食料資源が手に入り、海塩の活用が重要な役割を果たす。
社会組織は非常に階層的で、当時の人々は自分たちのシンボルと死者を高台に安置した。
2,500年のあいだ、何百人もの人々を何キロメートルにも数世紀にもわたって動員し、この地域全体とその起伏のうえに築き上げ、時の流れに逆らいながら、世代を超えて、この時代の女たち男たちはここに約12,000の石柱と300以上の墳墓を建て続けた。石柱は、群であれ単独であれ、現在まで残っているものについては、それぞれ平均で高さ数メートル、重さ数トンある。墳墓は単純な石棺から巨大な石塚までさまざまだ。
これらすべてがまさに遺跡のネットワークを形成し、世界でも類を見ないひとつの大規模な巨石建造物群を形成している。
このような特性は紀元前5千年紀に集中したのだが、カナーン風の巨大石塚に続いて回廊墓がさらに1,500年にわたってヨーロッパ全土に広がった。
その後、エル・グラーの折れた大メンヒルは倒れ、海抜は6メートル上昇してモルビアン湾が形成され、3つの川の合流は河口に飲み込まれ、並んでいるものもそうでないものも1,500もの巨石が海岸線に水没したのである。
地球最古の巨大石塚、世界最大の石柱の密集地、彫刻が施された150以上の板碑と、貴重な原材料という点ではアルプスやイベリア半島から来た珍しい埋葬品の集合体として、フランス政府と巨石建造物景観協会は、この歴史およびエテル・リアス式海岸とリュイス半島のあいだに位置するこの地域全体を、2025年7月ユネスコの世界文化遺産に登録する予定である。

Xデーまで100日

3月16日、ようこそブルターニュへとル・メンヒル(Le Menhir, 巨石)は、カルナックとモルビアン海岸の巨石群のユネスコ世界遺産申請を支援するため、アイルランドの人々と共に、表参道でパレードを行う予定だった。しかし悪天候により、セント・パトリックス・デイのパレードは中止を余儀なくされてしまった。その日から、ル・メンヒルは、ちょうど100日後にあたる7月6日から16日まで、ブルガリアのソフィアで開催される第47回世界遺産委員会の開会を待ちながら、東京をさまよっている。

バナー セント・パトリックス・デイのパレード 2025 東京

神楽坂にル・メンヒル

Xデーまで89日

初めての花見に、笑顔のル・メンヒル